採集紀行・青空の下で 




何故かこのところ、山に入る時には曇りがちである。

水の出ている少し暗い林道を走り抜けると、視界がしだいに広がってくる。
ぼんやりと考え事をしながら車を走らせていても、
時折陽が差すと、明るく照らされる色付いた森に、意識がさっと移る。
まるで、自分が森に引っ張られる様である。
今年は特に、サクラの紅葉が美しい様だ。
車を降りると、山には下りながら入るのが、この産地の特徴である。
多くの人がこの長い急坂を嫌うが、私はさほど苦にしない。体力があるのではなく、
倒木の多い、どこか深い雰囲気の森は、山へのエントランスには最適だと思えるからだ。
そして早くも川の音が聞こえてくる。トロッコ道を進んでも、何度も倒木に行きあう。
9月は自然災害に心を砕いた月となったが、この森にも大風が吹いたのだろう。
再び、急な下り坂。
人は石楠花坂と呼ぶが、石楠花はようやく涼しくなったのを喜んでいるかの様に、
青々としている。冬に向けて陽を求めているのだろう。
荒川は心配したほど水量はなく、水も透明でわずかに青さを感じる。
しかし、このままでは渡れないので、靴を脱いで裸足になって川に入る。
普段は体験することのない、水の冷たさだ。
同じ状況での過去の記憶が蘇る。

いよいよガレが見えてくるはずという辺りで、ヒガラのさえずりを耳にする。お出迎え? 
もう鳴き出すのか。年中騒いでいるカケスやハシボソカラスを別とすれば、
来シーズンに向けて一番乗りといったところだろうか。カラ類は冬にも時々鳴く。
白いガレは青空とセットで見上げたいが、折しも霧が、ほんの束の間破れて、青空がのぞく。
さあもう少しだ。登って行くと、ガレ全体が、あのカラマツと共に見えてくる。
友人からの報告で、枯れずにいるのは知っていたが、しっかりと立っている。
枝振りも立派になって、高さも2倍にはなっていそうだ。

数年前にも一度来ているのだが、何故かその時に、
このカラマツを見たという記憶がないのは不思議である。
根元の岩を少し取り除いてやる。ついでにその辺りのズリも少し掘ってみるが、結晶質のものは
欠片が数個。ズリはしっかりと掘り返されたようで、表面にも結晶質の石はまず落ちていない。
そして、ポイント全体の様子も随分と変わった。以前には岩しか見えない
白っぽい所だったと記憶するが、今では茶色い土が多く見える。
そして心なしか斜度が緩やかになった気がする。そんな事がある訳はなく、単なる錯覚であろう。

何も収穫がないまま昼食を食べてから、本を開く。
私はここを「読書のガレ」と呼んでいる。
気に入った場所に自分勝手な名前を付けるのは楽しいもので
こんなに素晴らしい景色に背を向けて、採集だけに励むには、もったいなさ過ぎるから
本を読むのはどうかと考えたのが、きっかけだった。
星野道夫のアラスカでの随筆を持ってきたが、読んでいると、時々陽が差すから、目を上げる。
まず周りが徐々に明るくなり、それにつれて背中も暖かくなる。
そのうちに向かいの山々が生き生きと光を発する様は、絶景と言う以外にはなく
どうしても写真に収めたくなってしまう。しかしそれも、せいぜい一分ほどで、
陽が消えると目を本に戻すのだが、しばらくして、また明るくなってくるのを感じると、
もう文章が頭に入らなくなる。こんなではダメで、5ページも読まないうちに諦めて、
景色を楽しむ事に専念する。

黄色くなった葉が、風にあおられて崖を吹き上がって来るが、
黄蝶が群で舞っているようで、見とれてしまう。
青い空は広がったり閉じたりを繰り返す。低い雲の更に上には、
大きくて立派な雲もあるが、それは動かない。
山に映る陽の帯は、登山をしているかのごとく、滑らかに山頂へと上がっていく。
しかし、じっとしていると少し寒い。
かといって、もうちょっとやそっとでは水晶は出そうにない。
目的は達した。帰ろう。

この吹きさらしの急な崖で、カラマツが一本だけ単独で、大きく育つ事はないだろう。
それは、風に倒される事と同じ意味だから。
次に来る時にはまだ立っているだろうかと思いながら、ガレを斜めに下る。