採集紀行・青空の下で
山に入ってしばらく走ると、新緑の美しさが際立ってくるが、
更に奥へと進むにつれて、林道の脇に植えられた背の高い桜の花に、目が行く様になる。
いつ頃植えられたものだろう、もう20年くらいになるのだろうか。
とても多くの桜の木が、道端で賑やかに花を咲かせて私を迎えてくれるが、
さらに20年後にはどうなっているのだろう?
そして、その道を進む人たちは、どのように感じるのだろうか。
見事な枝垂桜の咲き誇る神社はあっても、畑は放置され、もはや人影を見ることはない。
昔に多くの人の営みの地だった集落は、きっと再び森へと戻るのだろう。
今日はシンプルに、秋に見つけた晶洞の名残の脈を追ってみる計画で
久しぶりにタガネを持参して山に来ている。
しかし実際に叩いてみると、脈は膨らまず成果はない。
仕方がない、見立てが悪かっただけの事だ。しかし、やった事で気分はすっきりとする。
周りを少し探査して歩くと、手を伸ばしても届かない高い所に、微妙な出っ張りのあることに気がつく。
これを検索棒で引っ掻いてみると、思わぬ変化があったのだが、高すぎてきちんと目視が出来ない。
仕方なくカメラを高くかざしてシャッターを切り、モニターで確認すると、
確かに晶洞が開いたらしい事が分かる。 だがこれは、幸運な事だろうか?
きっと無理をすることになるから、それで落ちて怪我でもすれば、アンラッキーになったりもするのだが。
しかしもちろん、開いた晶洞を見て見ぬ振りなど出来はしない。
下からのアクセスは難しいが、上からなら何とかなるかも知れないと、道具を持ってぐるっと迂回して上に登る。
スコップで岩肌に足掛かりを作って、それに左足のかかとを掛けて、
もう片足は崖に張り出ている灌木の根元に、右手で樹木の根をしっかりと握る。
足掛かりや灌木は小さく、根は細く、どれもが頼りないが
落ちるときに、これから落ちるという心づもりが出来れば、といった安易な考えだ。
この高さなら落ちても死ぬことは、まずはあるまい。
残っている左手だけで、穴を広げたり中身をさらったりするのは結構大変だが
もちろん落ちたくはないから、右手は離せない。
夏みかん程度の晶洞で、水晶も長石もほとんどが1センチ足らずと小さく、しかし数だけは出て来て楽しい。
危険があるから真剣にならざるを得ず、それがより楽しさを感じさせているのかも知れない。
普通はつま先を掛けるところを、今回はその体勢から、かかとで体を支えているので、
時々左足のかかとに意識を戻し、数回の休憩を挟んで1時間くらい楽しむ。
晶癖は冴えずサイズも小さく、ケース入りはなさそうだが、長石も合わせると40個以上あるようだ。
更に探査をするが、あとはもう何も発見出来ず、
森のあちこちに見え隠れしているミツバツツジの、美しい花を眺めながらお昼を食べ終わると
もう十分に疲れたので、早めの下山にする。時間はいっぱいあるので
下りながら、ミツバツツジの大きな株の近くまで行って、見上げたり写真を撮ったりするが
どれもが貧弱な枝ぶりながら、結構背が高い。そして、岩の端っこギリギリに立っていたり
あるものは倒木に押し倒されながらも、花を付けている。
その、あるがままの姿が美しい。
帰りにはまた、桜を愛でながら帰る。
例年よりも10日くらい早く来たおかげで巡り会えた、今日一番の幸運である。
カメラを使って確認した、晶洞が開いた様子